広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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  • 掲載ニュース― NEWS ―

    今週の表紙
    広島経済大学学長に就任 / 石田 優子 氏
    NEWSな人
    シャーリング加工で差別化 社長就き、多角化も推進 / フリーエム 神田 誠 社長
    中国財務局長など歴任 税務行政テーマに講演 / (社)日本内部監査協会 垣水 純一 特別研究員
ニュース一覧
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グルメ&ナイト― GOURMET and NIGHT ―

話題のお店を取材!
locavore / 小竹 隼也 総料理長

7月に開業したホテル「江田島荘」内のレストラン。箸で食べられるフレンチをテーマに朝・夕食を提供する。小竹隼也総料理長は県内ホテルや東京で経験を積み、2015年に「第1回ひろしまシェフ・コンクール」の成績優秀者として県の支援を受け渡仏した。
「レストランから町おこしをするなど、食を通じた表現方法や食の偉大さに触れました。地元の食材や人々とのコミュニケーションを大切にする師匠の考え方にも感化されました」
 18年に帰国。地域で採れた食材を、地域で料理し、食すという修業先で学んだ食文化を広島で実現できる場を求め、時間をかけて場所や生産者を訪ねて回ったという。
「店先などで島民同士が交流する姿や彩り豊かな野菜、目の前に広がる海などが仏の景色と重なったのがここで働く決め手でした」
 広島に戻り、シェフとして初めて現場に立つ。「江田島産小鰯いわしのタルタルきゅうりのシートをかぶせて」など、地魚や野菜のほか、冬場はイノシシ肉も使う。
「アカエイなどの一見価値の薄れた食材も仏料理の技術を生かすことで、おいしく生まれ変わる。新たな食材の発掘も目指します」

    INFORMATION
  • ◆住所:江田島市能美町中町4718
  • ◆席数:68席
  • ※発行当時の情報となります。過去の記事につきましては、最新情報を掲載店さまにご確認ください。

スポーツ応援談― SPORTS TALK―

経営者が語るスポーツ「愛」
ワカバユニフォーム / 南 真一 社長

「昭和の黄金期」を見て育った私は、幼い頃から家族で市民球場によく足を運んでいました。48歳となった今でも忘れられないエピソードがあります。
 小学低学年のころ、レフトスタンドで試合前の打撃練習を見ていたところ、打球が体に直撃。警備員の付き添いで母親と球場内の医務室へ向かうことに。普段、目にすることのないダッグアウト裏で、緊張しながらも痛みをこらえる私に声を掛けてくださったのが、憧れの投手江夏豊さんでした。警備員に代わり、抱えて運んでくださいました。興奮冷めやらぬまま診察台に寝かされると、様子を見に来られた監督の古葉さんからも声を掛けていただきました。大スター選手や監督の心遣いに子どもながらに感激し、一層カープファンになった瞬間でしたね。
 強いカープに刺激を受けてソフトボールを始め、地元・安芸区の阿戸中学校軟式野球部に入部。小学生の頃からの友人と練習に打ち込み、中学3年時には市の大会で初の3位になりました。けがでしばらく野球から離れましたが、社会人となり、当時の仲間と草野球チームを結成。20〜30代は毎週のように汗を流したのも良い思い出です。
 セ・リーグ3連覇を成し遂げた「平成の黄金期」の反動か、苦しい状況が続いています。こうした時こそ、黒田さんや新井さんなど球界を代表する選手を生み出した育成球団の本領発揮に期待。栗林、森浦、大道投手の3ルーキーを含め、才能のある若ゴイが多くいます。中堅、ベテラン選手との競争をあおり、次なる黄金期に向けて力を蓄える時期だと思います。

コラム― COLUMN ―

                                   
記者が注目する「こぼれ話」
上場の夢かなう

マットレス、ベッドフレームの製造販売を主力に、リビングソファや寝装品などを扱うドリームベッド(西区己斐本町)が6月23日、東京証券取引所第2部に新規上場を果たした。県内で上場した企業は52社、広島市内では25社になった。
 まさに夢がかなった。2017年2月24日亡くなった前社長の渡辺博之氏の遺志を受け継ぎ、創業70周年の節目に当たる2020年を目途に上場を目指していた。国内のベッドメーカーではフランスベッド、パラマウントベッドに次いで、3社目になる。小出克己社長は、
「1950年の創業以来、品質に対する統一した考え方が根付いており、われわれが造る製品に対する自信と誇りが根底にある。たゆむことなく研究、開発を重ね、製造現場では改善、改革に懸命に取り組んできた。マットレスはコイル(鋼線)の太さ、形、配列で寝心地が決まる。当社は線径の異なるコイルを1台の機械で作り、任意に配列する技術の特許を持つ。一人一人の寝心地に対応できる素晴らしい技術だと自負している」
 これからも優れた品質の製品を造り続けるという創業来の方針がぶれることはないと言い切る。
 戦後間もなく、寡婦や戦災孤児の救済へ創業者の渡邊禮市夫妻が私財を投げ打ち、現在の中区基町で授産場を経営した後、米駐留軍の払い下げ物品を受け、ベッドの修理販売を手掛けるようになった。1957年に禮市氏が広島ベッド商会を立ち上げ、その年の夏、製造部門を切り離し、ドリームベッドを現在地に設立した。60年代後半には安芸高田市にマットレスなどを製造する八千代工場を完成。現在のベッドメーカーとしての礎を築いた。製造部門と販売部門を分離したほか、部門別に子会社を相次いで設立。しかし不況下で経営効率化を優先し、2002、03年にかけて、11社あったグループ会社を合併・統合。現在のドリームベッド1社に集約した。小出社長は03年に広島銀行から出向し、同行退職後、渡辺博之社長の逝去にともない専務から現職に就いた。
「一般的に同族経営には優れた点も多くあるが、ガバナンスが機能しなくなった時に、社内外から意見が入りにくく、受け入れにくくなるという危険もある。経営の風通しをよくするというのが、どの企業にとっても大事なことではなかろうか。当社では経営の柱でもある、『いいものを作ろう』というものづくりの精神が大事に守られてきたことで、品質やブランドの評価は高い。上場で得た資金は八千代の新工場建設に投入し、徹底的にものづくりの力を磨く。さらにブランド力を向上させ、ウェブ、SNSやテレビ広告などによって認知度を高める。全国3カ所のショールームにご来場いただき商品に触れてもらう、知ってもらうことで、必ず評価してもらえると確信している」
 20年3月期売上高は2期連続で大台の100億円を突破した。21年3月期はコロナ禍の影響を受け、商業施設向けの売り上げが減少。89億円で減収に転じた。しかし、今期はおおむね順調という。
「ものづくりに慢心があってはならない。創業の精神を大切にし、先輩から後輩へ繰り返し伝えていかなければならない」

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